熊本県議会 本会議で城下広作の会議録
2.熊本地震の記憶の伝承について

(1)熊本地震の節目の日
(2)追悼・鎮魂の場としての震災遺構のあり方

◆(城下広作君) ぜひ持続的な景気回復を、しっかりとまたリーダーシップを発揮して頑張っていただきたいと思います。特に若者の県外流出、これは、いろんな角度から大変熊本にはマイナスでございます。ぜひ若者が残れるような政策をしっかりと打っていただくよう期待をしていきたいと思います。
 次に、第2点目の質問でございます。
 熊本地震の記憶の伝承についてでございます。
 ことし1月17日、県より1通のお知らせをいただきました。内容は、4月14日金曜日午前10時から、県庁内の地下大会議室で、県議を初め、国会議員、国、市町村長、遺族代表、関係機関等を招き、県主催の熊本地震犠牲者追悼式を行い、そのほか、4月16日日曜日には、復興に向けた決意を新たにするため、一般参加者を募った復興祈念シンポジウムを開催する予定との内容でした。
 もらった瞬間、もう1年たとうとするのか、14日の午後9時26分には路上に立っていたな、また、16日午前1時25分には、今から布団に入り、寝ようとしていたなと瞬時に記憶がよみがえってまいりました。この2日間と2度の大きな揺れは、生涯忘れることができない、体が記憶した体験だと思います。あれから今日まで、県民の皆様がそれぞれの立場で、苦しみや悲しみに耐えながら、励まし励まされ、必死に前を向きながら日々の生活を送られてきたと思います。
 災害はないにこしたことはありませんが、起こってしまったら、できるだけ被害を抑えることしかありません。そのためには、今回の地震で経験したことを全て教訓として、自助、共助の精神を高めていくしかないと思います。そうした意味で、震災後の1年の節目の行事は大変重要で、官民問わず、全ての方々が心を一つにした意義ある日になることを心から願いたいものです。
 そこで、私は、熊本地震の1年の節目について悩むことがあります。それは、このお知らせをもらった1月17日は、くしくも阪神・淡路大震災の22回目を迎える記念日でした。偶然だったのか、その日に合わせて案内されたのかは定かではありませんが、意義ある日にいただきました。また、本日から8日後には6回目の東北大震災の日を迎えます。ことし1月13日、阪神・淡路大震災の教訓を学びに兵庫県に行ってまいりました。先月22日には、雲仙・普賢岳の大噴火の教訓を学びに島原に行ってまいりました。本年は、26回目の記念日を迎えるそうです。
 過去に大災害が起こった地域では、日にちが明確になっています。ただ、熊本地震の節目の日は、前震の14日か、それとも本震の16日かと悩ましく思います。今回の県が主催する熊本地震犠牲者追悼式は、4月14日開催です。被害が大きかった市町村では、16日に開催するところが多いと聞きます。県が14日に開催するから16日にずらしたということはないでしょうが、いずれにしても、後世に熊本地震の震災の記憶をとどめる意味の犠牲者追悼式の開催日について種々検討されたと思いますが、県として熊本地震の節目となる日についてどのように考えておられるのか、お尋ねします。
 次に、追悼・鎮魂の場としての震災遺構のあり方についてです。
 倒壊した家屋、引き裂かれ、ずれ落ちた断層など震災遺構そのものを目にすることは、百聞は一見にしかずのとおり、時が過ぎても、災害のすさまじさを後世に伝えることができます。
 以前、視察で訪れた淡路島には、阪神・淡路大震災でずれた断層をハウスで保存されています。また、東日本大震災では、岩手県陸前高田市の奇跡の一本松があり、大震災の記憶を今に伝えています。雲仙・普賢岳の大噴火による火砕流の災害現場では、当時の建物は何も残っていませんが、焼けた消防団の車が保存され、鎮魂の場として整備されています。そして、命を落とされた先輩団員の思いと教訓を引き継ぐために、26年たった今でも、火砕流が起きた6月3日を祈りの日として慰霊祭が行われています。ちなみに、発生時刻の午後4時8分に行われているそうです。
 来年度から震災遺構等の保存に関する検討を本格的に始められるとのことですが、震災遺構は、防災教育や観光の拠点としても期待されますが、残すに当たっては、まずは、雲仙・普賢岳大噴火の鎮魂の場のように、地元の方の共感を得られることが大切だと感じました。こうした視点のもと、復旧、復興の中で、失われる前に貴重な断層などを保存すべきと考えます。
 そこで、追悼・鎮魂の場としての震災遺構のあり方についての考えや今後の取り組みについて、以上2点、蒲島知事にお尋ねをいたします。
  〔知事蒲島郁夫君登壇〕